【032】急性期の痛みを取り除きつつ、体質改善のために負荷をかける
どこにも痛みがない状態が、記憶がある限りほぼない私です。。。
(残念な体質)
多少の痛みであれば、痛みがあるのが当たり前という感覚があるので、
普通に耐えられます。(それが当たり前だと思っていた)
しかしながら、やはり『痛み』は、生活の質が低下します。
私は、痛みが無い状態を初めて経験して、
『いつもどこか痛いのは、おかしいことなのだ』とやっと気づきました。
痛みというのは数値化できないので、
主観的なもののように思いますが、
どんなに有名な先生に勧められた方法だとしても、
日常生活を送るのに支障が出るほどの痛みを
私は我慢することはできません。
では、私はどのように自分のカラダと向き合っていけばよいのでしょう?
たがしゅう先生のブログに未病についての記事がありました。
この「未病」を「真の疾病に陥る病態」、例えば異物の侵入や過剰な栄養物質の蓄積に伴い生体の恒常性が破壊された場合に生ずる、生体修復反応(炎症反応)に起因する病態と考えるに至った。(引用文より)
そしてこの「自然免疫」システムによって生体修復のためごく日常的に起こっている炎症反応の事を「自然炎症」と呼びます。
あれも身体を修復するための自然炎症が盛んに起こっているためではないかと私は考えています。
未病と呼ばれる状態もまさに自然炎症が盛んな状態だと言えるかもしれません。(ブログの本文より)
痛みが出てきて耐えられない時、
私は、まず痛みをなるべく軽減する方法を採ります。
- 食事のケトン比を高くする
- ダメらしい食べ物を徹底的に排除する
これらが経験的に最も効果的な方法です。
しかし、これを続けすぎると、また質の異なる痛みに襲われます。
一つの痛みが解決されても、また他の痛みに襲われるということは、一体どういうことでしょうか?
炎症反応が、生体の恒常性が破壊されて生ずる生体修復反応だとしたら、
上記2点の方法では根本的な解決にはなっていない可能性が
あるのではないでしょうか?
おそらく、一つの問題は解決しても、全体のバランスを崩し、
結果として、他の問題が表面化してくることもあると思います。
ちょっとした体調の変化や血液検査の結果に一喜一憂するのではなく、
もっと全体を俯瞰的に捉えて、
耐えられる程度の負荷をかけつつ、体質改善を目指していくということが
必要なのではないか。。。
と、最近考えています。
ただ、痛すぎるのはやっぱり困るので、
たとえ、ゆっくりとしか修復できないとしても、
私は日常生活に支障がない痛み程度にとどめたいなと思います。
体質改善という大きな目標へ向けての取り組みの途上で起きてくる、
小さな不調には、漢方薬の力も借りながら、
ゆっくりと。。。でも着実に体質改善していくことを望みます。
※体質改善のための負荷については、また別の機会に書くことにします。